ビジネスマナー・ビジネス日本語 講師
島田 由利子
江戸っ子、関西人、九州男児など、その地域で生まれ育った人特有の気質、食べ物の好みなどが話題になることが、少なからずある日本ですが、広大な国土と膨大な人口をもつ中国では、出身の地域とその気質が話題にのぼることは当然のことながら日本の比ではありません。
中にはその地域の人はみなそういう気質だと断定している方もいらっしゃって、愉快に思うことがあります。
「北京人は政治を語るのが好き、上海人は商売やお金のことを語るのが好き」、これは以前からよく耳にしていた北京人、上海人の違いをよくあらわしていることばです。最近では経済成長著しい広東省の省都、広州市も加わり、「北京人にとっては北京以外の人は全員"外地人"、上海人にとって上海以外の人は全員"郷下人(田舎者)"、広州人にとって広州以外の人は全員"北方人」などと言われることもあります。このことばに大笑いしながらもなぜか納得してしまったのは、やはり言いえて妙の言葉だからでしょう。
温州人は中国のユダヤ人?
上記の三都市は、日本にいたころから遊びに行ったり知り合いがいたりして少しは馴染みがありましたが、それまで馴染みがなく、上海に居住し始めてから俄然注目し始めた都市に、浙江省の温州があります。
こちらで初めて仲良くなった友人が温州出身で、彼女はとにかく頭の回転が速いので、話していても面白く、私の家にも何度か泊まりに来てくれて明け方まで話し込んだこともありました。彼女を通じて、それまではあまりよく知らなかった、中国のユダヤ人と称される温州人気質が少しずつわかるようになってきたのです。
温州では、生きることイコール自分で商売をすること、という図式が出来上がっているような気がします。このことは特に温州に限ったことではないと思いますが、温州では特に顕著である気がします。温州商人ということばもあるように、温州では多くの人が様々な商売をしていて、欧米に移り住んでビジネスをしている温州人も多いと聞きます。彼女の親御さんも不動産や衣料品などの商売をされていて、物心ついたころから、人に使われるのではなく、人を使って商売をする、つまり老板(らおぱんー経営者)になれ、と言われて育ったそうです。
二人で小さな餐庁でご飯を食べていても、彼女は味よりも、専らお客さんの数や売り上げのほうに興味がある感じでした。知り合った頃、彼女は大学二年生でしたが、口癖のように、年が明けたら22になるから(中国は満ではなく、数え年を使うため)早く何か商売をしたい、と言っていました。それから何カ月もしないうち、敬虔なクリスチャンの彼女は、同じく温州出身で今は御主人となった当時のボーイフレンドと一緒に、クリスチャンギフトの小さなお店を始めたのです。建物の中に小さなお店がいくつも並んでいるその中のひとつのコーナーが彼女のお店でしたが、商品を置く棚も自分たちの手作り、お店の看板は、大学の美術部の友人に書いてもらったもの。お店に持ち込んだノートパソコンでBGMを流していて、忙しいときは、友人達が交代で手伝って、たまにパソコンの中の写真を見てみんなで笑ったり・・。何かに急きたてられるように商売!商売!と言っていた彼女ですが、始めてしまったら、そこは本当に、ドラマを見ているような世界だったのを覚えています。
そして、彼女との付き合いの中で、温州人に流れる血のようなものを感じたのも事実です。上述した、人に使われるよりは老板になること、そして成功して規模を広げていくことが大事なのでしょうが、何よりも、商売を始めることがまず大事である、という印象を強くうけたのです。
だめなことは "何もしないこと"
この質問はまだその友人にしたことはないのですが、だめなことは何か?という質問をすると、かなりの確率で"何もしないこと"という答えが返ってくると思います。故J.F.ケネディ氏の演説にも同様の言葉がありましたが、何も始めないうちにあきらめたり文句を言ったりするのではなく、とにかくどんなに小さな商売でもいいから、まず始めることが大切なのです。温州人と接することで、始めることの大切さを再認識した次第です。
上海人の友人いわく、上海の男子は温州の女子と結婚するとアパートを買ってもらえるとかで(逆玉)人気があるとかどうとか。真偽のほどはさだかではありませんが、そんな話がまことしやかに流れるほど、温州人のリッチぶりは中国では有名です。
ただ、それは、生きることイコール自分で商売をすることである温州人が、"始めること"の大切さを痛感し、実行した結果ではないかと、私はひそかに思っている次第です。
微妙に違うからこそおもしろい中日文化、興味が尽きません。
日米および香港・上海での長く幅広い社会経験から裏打ちされた、ビジネスマナーおよび語学指導に好評を得る。
各種研修と講演および各誌コラム執筆多数。