上海誠鋭実業有限公司 総経理 叶 家胤
最近中国における地方政府の不正や腐敗叩きは厳しいものがあり、非常に多くの報道がなされています。
それは企業にもよく見られる現象です。ルールを無視して、あえて違反する者は企業・組織に対して挑戦状をたたきつけるものです。それに対する経営者の対応は企業・組織管理力を評価する重要な基準です。地方政府でも企業でも共通なことなことは、そのルール違反の大半が「ルールを知っていながら違反した」ということです。
ルール違反には2種類ある
ルールを知りながら違反する者は、大きく2種類に分けられます。
1種類目は、違反せざるを得ない状況
よくあるのは、ルール自身に合理的でない部分があり、実行できないことです。ルールの制定者はルールを修正しなければなりません。その場合、ルール違反者はルールを改善させるヒントの提供者になり得るため、彼らの意見を聞くべきです。
2種類目は、ルールを守れる状況にありながら、また承知していながら違反する者
いわゆる「確信的違反者(確信犯)」です。
企業・組織にも地方政府と同様な確信犯が存在しています。特に改革を実施するとき、そのような者はよく見られます。
経営環境の変化によって、企業は制度やシステムなどを新しく制定、また修正します。制定・修正の段階では、よく現状と目標を考慮し、実行できるルールを作成するのは経営者の仕事です。しかし、たとえば建設的なルールができても、必ずと言っていいほど確信的違反者が出ます。彼らを分析してみよう。
確信犯の目的は利益
まず、彼らの目的は誰でも「利益」です。
ただし、その利益は「予算」だけではなく、「既得権益」です。「既得権益」は給与などの収入以外にも、仕事の習慣・地位などいろいろなことがあります。
今までドンブリ勘定をしていた接待交際費清算の企業で、「接待相手・場所・日程を明記させてから清算する」という制度を実行させるために、「既得権益者」から大きな抵抗を受けることはご想像できるでしょうね。
「公私混同できなくなるから改革に反対する」という「既得権益者」はまだ理解しやすいですが、改革は自分にとって何も不利益がなくても、ただ「今までの仕事の習慣を変えられるから改革はいやだ」という者までいます。
ルール違反しても大丈夫?
さらに、確信犯には、ルール違反しても処罰されない自信があります。
だいたい確信犯は企業内での「有能者」です(少なくとも本人はそう思っています)。自分はルール適用対象外だと思う人も多く、会社において自分の「重要性」を示すためにわざとルール違反し、処罰されないことは自分が「価値が高い」と同僚に見せたい人までいます。
「既得権益を守る」目的と「処罰されない」自信を持っていれば、確信犯になります。ことごとに、「会社の(新)ルールはわかるが、以前のルール、自分のルールに沿って行動したら、会社はどうするの」と確信犯から挑戦状をたたきつけられた経営者は何も対応できない、しない人が意外に多いようです。
そうであれば、本当に「やった者勝ち」になり、確信犯の目的達成と共に、会社の方針・ルールは実行できなくなります。最終的にルールそのものが無意味になり、会社は確信犯にハイジャックされてしまいます。
ルールを知りながら違反する「確信犯」の出現は、組織の管理者に大きな責任があります。「確信犯に寛大的な」環境を作ってしまえば、組織はそれらの「確信犯」にハイジャックされてしまい、本来の経営目標を実現できなくなるか、企業の長期的戦略に極めて悪影響を及ぼされます。
では、なぜ「確信犯」を放任するのか。経営者・管理者たちの立場で分析してみたいと思います。
何故確信犯を見逃すのか
まず、「確信犯」を見逃している経営者は処罰「できない」と「したくない」の2種類に分類できます。状況によって、その2種類の理由が混在している場合もありますが、いくつかの状況設定をして、説明したいと思います。
ルールがない場合は、処罰「できない」ですね。制度がなければ、制度違反もなく、「確信犯」とも言えないだろうというのは正論です。ただしルールがないことも2種類が考えられます。
第1種類は「何をしてはいけない」というルールがなくて「できない」
「遅刻してはいけない」というルールを「就業規則」に明記しなければ、遅刻してくる社員はもちろん「確信犯」にはなりません。もちろん処罰までに至りません。つまり、処罰「できない」。
ルールの重要性を認識せずに、ルールを制定しないのは経営管理者の「経営意識」の問題とすれば、「面倒だから」、「ルールがなければ自分にとってもやりやすい」と考えている経営者の問題はもっと深刻です。
投資者(親会社)から経営委託を受け、必要とされるルール作りを「面倒」と考える経営者は極めて「無責任」で、「給料泥棒」と言えましょう。
ルールがなければ自分にとって都合が良いと考えている経営者は最初から企業にとって不利益なことをやるつもりで、「無責任」どころか、その組織一番の最悪「確信犯」です。
現実問題として、ルールがないから誰かが「確信犯」を確認できないという正論より、早く「ルール」を制定することをしなければなりません。いかなる理由であってもルール作成を反対する、あるいは延滞させる経営者は交代させるべきです。仕入れ先からリベート(商業賄賂)を貰おうとする総経理は、「リベートを貰ってはいけない」というルールを制定したくないでしょう。
第2種類は、ルールはあるが、それに対する処罰規定がなく「できない」
「遅刻してはいけない」という規定はわかるが、遅刻したら注意も、警告も、報酬にも影響を受けなければ、遅刻しても構わない思う従業員は多くなるでしょう。経営者は遅刻常習犯という「確信犯」を処罰「できない」からです。
諸制度規定において、賞罰がなければ実行されにくいし、その制度規定は形骸化します。
賞罰規定がないという制度体系的な問題によって、「確信犯」を賞罰できないなら適切な賞罰規程を制定すれば済むことですから簡単です。
ルールも賞罰規定もあるが、適用できず処罰「できない」
ある社員が、社内で傷害事件を起こしました。この者は社内ルールでは解雇ですが、優秀なかけがいのない社員であり、その原因に猶予すべき事情があったとして始末書提出のみという軽微な処罰で済ませました。
数ヶ月して別の社員が傷害事件を起こしました。この社員は猶予すべき事情も背景もなく、札付きの悪社員でしたが「今度は解雇」ということはできませんでした。規則適用の公平性に欠けるからです。
中国の有名な諺に「泣いて馬謖を切る」があります。三国志で有名な諸葛孔明が、前線司令官馬謖の作戦失敗により多数の将兵を死なした罪を重んじて、泣きながら馬謖を斬首したことを表した諺です。将来の後継者と嘱望し可愛がっていた馬謖は切りたくないが、国の法と秩序を守るため切った話しです。
企業経営でも当てはまることですね。
日本の流通経済大学および産能大学大学院経営情報研究科卒業(MBA取得)後は上海へ戻り、コンサルタント会社を設立。日系企業の各種経営相談・指導を行っている。
2003年より異業種交流会「上海ビジネスフォーラム」を主宰しながら、各種雑誌にコラム掲載および各社顧問と各種セミナー講師多数。